第21号
12月14日
川崎宿と堀之内の歴史A
   前回書きました@の記述に若干の変更部分があります。何しろ、たかが江戸時代という近代にも関わらず、資料によって解釈や見解の違いがあるもんですから…
 では、訂正をしながらお江戸の川崎宿のお話を、私論を交えてしていきますね。

<江戸時代の茶屋>

 前回の@に<さて、川崎宿には本陣がありました。本陣(ほんじん)とは、江戸時代に参勤交代の大名など身分の高い人が泊まる宿のことです。当時、普通の旅人は、万年屋(今のロールスロイスの駐車場あたりにあった)のような平旅籠に泊まっていました。>と書きましたが、万年屋は川崎宿の久根崎町にあり、現在の409号線よりも多摩川よりだったみたいです。最初に見た地図では、旧東海道と国道がぶつかる手前くらいになっていたので、ロールスロイスの駐車場付近かな?と思いましたが、旧道は現在の本町交差点手前から、斜めに六郷橋に向かいます。つまり、ぶつかる国道とは15号線の方だったのです。今の本町2丁目くらいですね。Aを書くに当たって、川崎市の市民ミュージアムで確認したので訂正します。
 万年屋は、旅人に昼食を出す茶屋でしたが、その後本陣よりも少し格下の旅籠(はたご)になりました。今で言う、レストランのみの利用も可能なホテルです。
 この「茶屋」という宿場につきものの飲食店の多くが、飯盛女郎あるいは宿場女郎と呼ばれた娼妓(遊女)を置いていましたが、どの茶屋に何人という詳細は解りません。ただ、当時の幕府は、娼妓のいる飯盛茶屋や飯盛旅籠が宿場を発展させるという見解を示していたので、吉原のような<幕府公認>ではありませんが<幕府黙認>の状態で営業していたようです。彼女たちは、川崎宿に対しては揚代(あげだい・お遊び代のこと)の中から税金を徴収されていましたから、私娼ではなく公娼だったことは確かです。
 しかし、Aで書いたような<つまり堀之内は、幕府のお墨付きを得た吉原ほどではありませんでしたが、とても歴史的には日本有数の遊郭だったわけです。>の遊郭の部分は、日本有数の、遊女のたくさんいる町に訂正します。遊郭は遊女屋の集合体ですが、堀之内を要する川崎宿はあくまで宿場町だったのですから…
 ちょっと脱線しますが、今朝のスポーツ新聞に、映画監督の山本信也の記事がでていて、20世紀で最もエポックな性風俗はソープランドだと書いていました。そして、<外国人の有名俳優が喜んで遊んだのはソープだけ、世界に誇れる日本の性風俗だ>とのコメントもありました。
 江戸末期の里謡に、<川崎宿で名高い家(茶屋)は、万年屋、新田屋、会津屋、藤屋…>なんてのがありますが、川崎宿では3つあった本陣よりも、むしろ大衆店であるこれらの茶屋に関する記述が多いのです。特に万年屋は、弥次郎兵衛と喜多八のコンビが
女中をからかいながら茶飯を食っていると「東海道中膝栗毛」にも書かれていますし、嘉永6(1853)年の黒船さわぎ以降は外国人にも愛された店だったのです。
 万延元(1860)年、イギリスの植物学者フォーチュンは、万年屋のサービスぶりを、帰国後「江戸と北京」という東洋への遊学記にこう書きました。<若い女たちが(フォーチュンの)回りを囲んで、お茶をついだり、お菓子を口に入れてくれて、至れり尽くせりで至極満足した>と…。それを読んだ総領事のハリスも、下田から江戸に上る際に、川崎宿では本陣を拒否して万年屋に泊まったそうです。
 この万年屋の<若い女たち>が単なる女中か娼妓かは歴史書では明らかになりませんが、単なる女中とはとうてい思えませんよね。
 山本監督は、トルコと呼ばれていた時代に、フランスの俳優アランドロンがトルコ風呂を絶賛したことを言っているようですが、川崎宿の茶屋も外国人に大評判だったようです。で、面白いなと思ったのは、評判の内容がHなことかどうかはともかく、皆一様にサービスが良いと言っていることです。しかも、評判の良いのは大衆店!もし、こういう気風が現代にも脈々と伝わっているのなら、私たちがその伝統の灯を消してはいけませんよね。
 ただ、私論ですが、歴史書に旅籠の話が多く、本陣の記述が少ないのは、本陣は諸国の大名や名士が愛用していたからでは無いでしょうか?つまりVIPの方々はお泊まり(お遊び)になるのもお忍びだったから?!
 ある郷土史研究家の方の仮説によると、本陣の田中氏や佐藤氏、あるいは地元の名士七郎左右衛門の特命で女衒が西日本でかどわかし(誘拐)を行い、奇麗どころ(美人の遊女)を調達していたらしいのです。ですから本陣にお泊まりのお殿様たちのお相手はより高級な遊女だったと思われますが、地元の名士、あるいは殿様方の名誉のためか、幕府非公認の場所だったからか、はっきりした記述は見あたりませんでした。
 さて、川崎でいわゆる<遊郭>という言葉が使われだしたのは明治時代になってからのことですが、そのお話はまた次回にして、お隣の横浜のことをちょっと書きます。
 よく、神奈川でソープといえば堀之内のある川崎が有名で、大都市の横浜の話題や件数が少ないのは何故か?とお客様に聞かれます。歴史的にみると、神奈川県で最も賑わった宿場は川崎の先の神奈川宿で、安政5(1858)年の日米通商条約でも、最初に開港が決まったのは、長崎・新潟・神戸と並んで神奈川でした。しかし、開港に伴い、そこが自由貿易港となり、外国人の居留地をつくることが条件でしたから、幕府は江戸に近い神奈川を開港することを避けようとしました。繁盛している宿場町での外国人とのトラブルを懸念したからです。それで、当時は半農半漁村としてさびれていた横浜を開港場にしたのです。ですから、横浜が都市として発展したのは江戸末期と歴史が浅いわけです。明治に入り、娼妓解放令がだされたあと、各地に政府公認の遊郭が設置されました。この時、貸座敷業を願い出た川崎宿(堀之内)の女郎屋が100件近かったのに対して、横浜では十数件だったそうです。つまり、宿場の発展系として遊郭ができた町としては川崎の方が歴史もあり規模も大きかったということが今に続いているのかもしれません。ちなみに、神奈川宿に娼妓がいたかどうかはまだ調べていませんので悪しからず…
 それから、@で吉原について、<当時、よしの茂る沼地で吉原と呼ばれ、大いに栄えました。しかし明暦の大火(歌舞伎などで有名な振り袖大火)の後、浅草日本堤に移転したのです。以前の吉原にあやかってここを新吉原と呼びました。現在の吉原は、もっと浅草よりの千束地域です。>と書きましたが、新吉原と現在の通称吉原の場所に関しては、近くなのかほとんど同じなのかはっきりしません。というのも、現在表示されている吉原大門の場所も推定でしか無く、遊郭時代の堀のあとも正確な位置が解らないのです。たぶん、裏風俗故に、それに関する文献が乏しい上、下町一帯は、昭和20年の東京大空襲で壊滅的な被害を受けましたから、余計にわかりにくいのでしょう。
 では、次回は川崎が宿場女郎のまちから遊郭へ変貌していくお話を書きたいと思います。

 ところで、個人的な余談ですが、12月に入って一見繁盛しているように感じるラ・ドルフィンですが、飛び込みのお客様のわりに予約で来店される方が少ないのです。特に、夜7時以降の予約は寂しい限りです。HPをご覧の方々は、来店に際しきちっと予約をして、しかも<早い時間に遊んで、飲むのは夜>とお考えの非常に堅実な遊び方をする方が多いと思います。それが一番ではありますが、もし、夜間(7時・9時・11時)のご来店が可能なら昼間よりもむしろ予約が取りやすいんですよ。夜も来てね(^o^)
 な〜んて、夜の泥酔客さんを避けたいのが本音の純でしたY(^^)ではまた
第20号
12月8日
川崎宿と堀之内の歴史@
   先日、H所の定例検査も終わったことを受け、すかさずH所についてあれこれ書いたわけですが・・・・。アダルトサイト花盛りしネット世界ですが、違法を承知の日陰稼業の身ですから、当事者の私がお上にあれこれ申すのは怪しからん!と言うわけでした。そうかと言って、<きょうはお休みなので、お昼に起きて、××ちゃんに電話をして、猫のタマとひとしきりあそんで、夜は△△ちゃんと飲みに行きました>なんて今さら書けませんので、またしても歴史物を書いてみました。なんたって、この時代、堀之内の遊郭は合法で営業していたのですから(^o^)

<江戸の川崎宿>

 川崎宿は日本橋を起点とする東海道の、品川に次いで3番目宿場町です。東海道は徳川家康により整備が進められた五街道の中でも特に重視され、江戸から京都まで約500kmありました。参勤交代制が確立した寛永12(1635)年頃には53の宿場が整いました。江戸時代後期には、大名行列だけでなく、庶民が遊山や参詣に往来することが多くなり、多くの人と物資が行き交うようになりました。
 川崎宿は元和9(1623)年に作られ、小土呂、砂子、新宿、久根崎の4町から構成されていました。始めの頃は、貧しい宿場町といわれていましたが、本陣の田中丘隅(きゅうぐ)らの奔走や、川崎大師の賑わいで次第に繁栄したのです。広重の版画にも大師参りの女たちが描かれていますが、実はこの女性たちこそ一説によれば、堀之内の遊女だったと言われているのです。広重以外に北斎も遊女をモデルに春画を多数描いたそうです。歴史の裏舞台では、川崎宿の繁栄に堀之内の遊女たちは欠かせない存在だったというお話を検証してみたいと思います。
 表向きは、京都に向かう旅人にとっては昼食の休憩地として、江戸に向かう旅人にとっては六郷の渡しを控えた最後の宿泊地として賑わった宿場でした。また、古くから庶民の信仰を集めた川崎大師は関東屈指の霊場として多くの日帰り参拝客が訪れ、川崎宿は参拝の拠点として栄えたことが普通の歴史書には書かれています。
 六郷川は慶長5年に架橋、その後破損修復を繰り返しながら元禄元年まで存続し、以降渡し船となりました。当初、渡し船の運営は幕府の直営で行われましたが、その後江戸町人の請負となり、宝永6(1709)年に川崎宿が幕府からその運営を任せられます。
 渡し船は武士層や公家、有力社寺の神官僧侶など無償で利用する者が7割を占めましたが、一般庶民は規定の料金を支払いました。このため請負人が収益中から川崎宿へ差し出す金額も毎年600両前後に達し、川崎宿の財政安定に大きく寄与しました。
 つまり、橋を架けることが全く不可能だったわけでは無いのですが、川崎宿に入る船賃が莫大だったため、敢えて架橋工事を行わなかったと言うことです。川崎市の歴史を遡ると、六郷橋が架けられたのは大正14年で、新国道(第一京浜国道)が開通した時ですから随分と遅かったのですねー。
 さて、川崎宿には本陣がありました。本陣(ほんじん)とは、江戸時代に参勤交代の大名など身分の高い人が泊まる宿のことです。当時、普通の旅人は、万年屋(今のロールスロイスの駐車場あたりにあった)のような平旅籠に泊まっていました。
 川崎宿には当時3つの本陣があったとされていますが、その中の代表的な本陣が田中丘隅の経営する田中本陣です。川崎宿起立当初は、砂子町の妙遠寺が本陣とされていましたが、その後、寛永5年に田中が仮本陣となり、同12年に正式本陣となりました
 この田中丘隅こそ、川崎宿発展の立て役者だと言われているのです。当時の多摩川は現在よりもかなり幅員があり、洪水に見舞われることもたびたびだったそうですが、架橋工事は幾度も繰り返されていました。しかし、元禄年間以降は、田中丘隅の差し金で工事は阻止されたのだそうです。そして、自らの宿屋が仮本陣から正式な本陣に昇格すると、天候不順で渡しが出ないたびに、諸国のお殿様に泊まって頂けるようになったわけです。
 江戸を目の前にした川崎で、お殿様が何泊もするかというと、お大師様があるくらいでこれといった名物のない宿場町ですから、足止めは非常に難しくなります。そこで、必要となったのが堀之内遊郭の活性化でした。
 つまり堀之内は、幕府のお墨付きを得た吉原ほどではありませんでしたが、とても歴史的には日本有数の遊郭だったわけです。
 江戸の堀之内については、次回のお楽しみということで、ここで少し脱線して、皆様の誤解を解いておきたいと思います。
 よく、<吉原>こそ江戸時代からあった!と言いますが、江戸時代の吉原はいまは存在しません。江戸時代の吉原は、元和3(1617)年、庄司甚右衛門が幕府に願い出て、日本橋人形町2丁目と富沢町界隈に遊女屋をあつめたのがはじまりです。当時、よしの茂る沼地で吉原と呼ばれ、大いに栄えました。しかし明暦の大火(歌舞伎などで有名な振り袖大火)の後、浅草日本堤に移転したのです。以前の吉原にあやかってここを新吉原と呼びました。現在の吉原は、もっと浅草よりの千束地域です。
 日本堤というと、つまり、いわゆる山谷(さんや)と同じエリアです。山谷は江戸時代からの木賃宿街として昔から出稼ぎ労働者に利用されていました。ですから、東北の寒村から出稼ぎにきた男と、やはり同郷で、吉原に売られてきた女が泪橋で逢い引きするという艶話は実話が元になっていたのかもしれませんね。
 そういえば、吉原の悲話に出てくる女性たちの多くが東北出身なのですが、堀之内はというと西日本の女性が多いのです。これは、その時代に暗躍した女衒(ぜげん)のテリトリーとも関係することです。では、川崎宿の夜の部のお話はまたいづれ…
 と、勿体ぶってしまってごめんなさい。いくら、現行法で問題ないとはいえ、ましてや裏稼業のお話だからといって、私が勝手に歴史考証をねじ曲げてしまうわけにはいきません。裏稼業故に諸説がまことしやかに出回っていて、検証するのにちょいとお時間がかかります。しかも時節柄なにかと慌ただしい今日この頃です。しばしのお待ちを!!
 ちなみに、江戸の遊郭を調べていたら、<花魁>の意味が出ていまいした。と、花魁(おいらん)とは<部屋持ちの遊女>を指すそうです。あらまー、『おいらは花魁♪♪♪』Y(^^)お待たせした上たびたびの脱線で恐縮です。ではまた(^-^)g””
第19号
11月18日
ローションの正体って知ってますか?
     昨日、南国の出張から帰ってきました。私はまたしても、ほんのりですが日焼けしたので、冬の到来と合わせて肌荒れ対策が大変です。
 とかく女性は肌荒れを気にするものです。一日に3回しかキッチンに立たない主婦が使う台所洗剤も、洗浄力よりも、肌に優しいものが良く売れます。
 私たちの場合、一日の入浴回数がその倍以上。しかも全身です。特にマットの際に使うヌルヌルローションはきちっと後処理をしないとたちまち鮫肌になります。面倒くさがらず、その都度ゴシゴシ洗い流さないといけませんよね。
 ところで、そのローションって何者なのかご存じですか?一説には「海藻が原料」なんてデマがまかり通っていますが、それって「××の行為のあとで、コーラを振りかけると避妊できる」なんて話を信じている高校生並みに間抜けな誤解です。海藻で作ったら、無味無臭にはなりません。臭くてHな気分はぶちこわしです。しかもすぐに腐ります。それこそ大量の漂白剤や防腐剤でも混ぜないと……。そんな代物でしたら肌につけた瞬間に鮫を通り越して埴輪(はにわ)になります。
 ヌルヌルローションは、水溶性の高分子ポリマーが原料です。つまり水に溶ける合成樹脂なのです。日本には大体3種類の製品があって、ソープランドで使用されているトロみのあるもの(2種類あります)と、大人のオモチャ屋さんなどで販売しているチューブ入りのゲル状のものがあるのです。チューブ入りのゼリーは潤滑力が弱く、マットなどでのボディマッサージには向きません。性交の際の挿入時に潤滑を補う程度のものです。挿入後は潤滑性がすぐになくなります。
 では、私たちが使うローションは、どうしてあのようなヌルヌル状態になるのか製造メーカー(三枝産業http://www.saegusa.co.jp/)に直接取材してみました。
 製造工程は、ビニルポリマーを40℃のイオン交換水に緩やかに添加し攪拌し、これをAと呼ぶことにします。次に水酸化ナトリウムもしくはトリエタノールアミンを通常温度のイオン交換水で希釈します。(水酸化ナトリウムの場合はかなり高温となり、接触すると大やけどをするので結構高度な技術が要されるそうです)これをBとします。そして、AとBをまぜて攪拌するとゲル化してトロみのあるローションが完成します。
 さて、このヌルヌルローションが開発されたのが、昭和48年ということですから、堀之内で泡踊りが大流行した少し後と言うことになります。泡踊りは、その名の通り石鹸の泡で全身マッサージを行っていましたから、回数がかさむと肌にも悪いし、舐めたら辛いので当時のお姉さんたちには不評だったようです。かといって、そのままマッサージすると肌に摩擦が生じてやはり肌を痛めてしまいます。そして考えられたのがオイルを使用することでした。しかし、オイルはなかなか水で落ちません。油は水に溶けずに分離します。家庭用洗剤は油を水でとけるようにする界面活性剤です。しかしこれは油に汚れた食器には使用できても人間の肌には使用できません。そこで水溶性で、しかもかなりすべるということでゼリーが開発されました。これは牛の出産などにも使用されておりますし、性交の際に分泌するバルトリン分泌液と同じくアルカリ性なので、人間の出産時もこれと同成分にイソジンを混合したものを出産補助剤として使用することもあります。
 女性の性器内部は日頃酸性で、細菌などが侵入したときに殺菌しますが、性交の際に酸性だと精子も死滅してしまいます。そこでアルカリで中和するためにバルトリン液を分泌するのです。この分泌が不足すると酸性がきつくなるので臭気を帯びてきます。したがって性交の際にはこの分泌液で臭気も防ぎます。つまり、ヌルヌルゼリーを使うのは潤滑だけでなく、気分良くHを楽しむために考えられたもののようです。
 そして、マットプレイの流行に合わせて全身に使えるとろみのあるローションが改良されて作られたようです。できれば最初のクライアントが堀之内の方かどうか知りたかったのですが、開発当時の方がすでに退職されていて残念ながら判明しませんでした。
 ソープで使用されているローションは2種類に分けることができます。舐めたときにちょっと甘いもの(ピンクローションなど)と全く無味のものです。甘いものには、プロピレングリコール(口紅などに使用されている)という保湿成分が添加されています。食品添加物指定の物もありますが、これは発ガン性の可能性が強く、飲まないほうが賢明です。その上、性器粘膜に対する副作用も懸念されます。しかしこの薬品を添加すると、ポリマーと水分をよりきめ細かく溶解するため、希釈する場合においてかなり使いやすくなります。
 保湿成分というと、何か肌によいような感じがしますが、これが曲者で一概に肌に良いわけではないのです。だから、私は透明の無添加のローションを使い、敏感肌のお客様には蜂蜜を入れて、味や香りを楽しみたい方にはフルーツリキュールを混ぜています。
 さて、これから冬本番です。お風呂場でのお遊びは寒さとの戦いです。ラ・ドルフィンには性能の良いエアコンがビルトインされていますので、ついつい暖房をつけてのプレイになります。実はエアコンとローションは相性が悪いので注意が必要なのです。
 エアコンにあたると、水分が蒸発してポリマーだけが肌に残ることになります。するとポリマーはラップのような感じで体を包み、そしてこのポリマーはかなりの力で肌の水分を吸収します。吸収力が高い物で、自分の体積の1000倍もの水分を吸収するものもあるのです。したがってかさつきが生じます。それを回避するために、エアコン使用時、私はローションを濃い目に溶いています。ですから、マットプレイのあとで気合いを入れてスポンジで擦って落としているのです。
 ちなみに、ローションでかぶれた経験があり、それが原因でマット嫌いになったお客様がいらっしゃいますが、余程のアレルギー体質でない限り、きちっと後処理をすれば肌荒れは防げます。
 男性器は、勃起時には包皮は完全に亀頭から分離しますが、射精後に縮小すると包皮がアコーディオン状に重なって、そこにゼリーが溜まるとかなりの確率で化膿します。女性の場合も局部の皮膚の重なりの部分に溜まると同じ症状になります。この原理は、皮膚が重なり空気に触れずに水分が蒸発しないことになり皮膚がふやけてしまい、そこに雑菌が発生するからです。ですから特に、性器の周辺は念入りに洗い流しましょうね。
 今回ローションを色々と調べてみて感じたことは、お客様の大切な肌や、ましてや性器に直接ふれるものを日常的に使用しながら、私はあまりにも勉強不足だったということです。コックさんが食品添加物に詳しいことも、美容師さんが髪を痛めないノウハウにたけていることも当たり前のことなのに、私はプロの端くれとしてまだまだ甘かったみたいで反省することしきりです。
 これからは、お部屋を飾るような外見的なことばかりでなく、お客様の(自分もですが)身体のことをもっと考えて楽しく遊びたいと思います。
第18号
11月7日
元気のないオ・ン・ンの話 〜勃起不全症
   バイアグラでお馴染み、ファイザー製薬のテレビCMのおかげで、ED(Erectile Dysfunction・勃起不全症)という言葉もだいぶポピュラーになりましたよね。
 で、CMでやるくらいだからEDは増えているのか?という質問を多くもらいます。私の経験から考えると、増えていると思いますし、性機能学会の資料を読んでも、その相談件数はうなぎ登りです。EDは見過ごせない現代病です。
 EDは、医学上定義では「男性の陰茎が十分に勃起(ぼっき)できないために女性の膣(ちつ)内に挿入できないか、たとえ挿入できたとしても、これを維持できない不完全性交状態をいう」としています。世の中の男性、女性にとって、EDは性愛遂行の挫折であり、男性にとっては生きがいの喪失を意味します。
 ED人口は、アメリカでの調査では40代で10%、60代で30%にもなるのだそうで、日本でも近い数字になっているのだと思われます。しかし、このデータは、主に、内分泌疾患、神経疾患、骨盤損傷、薬物服用、外科手術後等が原因で起きる器質的EDの数字です。EDの原因としてはむしろ心因性の方が多いと思います。
 性欲の源は、脳のほぼ中央に位置する視床下部にあります。大きさはわずか1立方cm。この極めて小さく、最も原始的な脳には、食欲や睡眠、体温調節、各種ホルモンの分泌など、生命維持に欠かせない様々な機能が秘められているのです。
 心因性EDの多くはストレスに起因するといわれますが、視床下部のダメージもまたそれと並ぶ大きな要因となっているのです。つまり、食事や睡眠の時間が定まらない不規則な生活を続けていると、いつしか視床下部に変調をきたし、同部位が支配する他の機能にも深刻な影響が出てしまうのです。そして不規則な生活で、血行障害となり、それは男性機能にも当然悪影響を及ぼします。
 アルコールの摂取も一時的なEDの原因です。そしてアルコール依存症ともなれば、EDの症状も慢性的なものになるのではないでしょうか。だから酔っぱらい客は嫌われるのですよ。
 さて、最近「増えている」という私の実感ですが、特に20代のソープ初心者の方に多いのは驚きです。原因については一概に言えませんが、栄養のバランスが悪いとか、不摂生しすぎとか、運動不足による血行障害とか色々考えられます。でも、こういう人は以前からいたわけで何も最近に限ったことではありません。
 よく、オナニーのしすぎで女性器の感触が物足りなく感じるという話を聞きますが、確かにそれも多いです。この場合、仮に勃起しても完結させられない、つまりイカない方もいらっしゃいます。これは遅漏というより不感症ですよね。そして一番困りものなのが、ヘルスなどのニュー風俗に通い続けた結果、自力で起たなくなったり、他人の握力になれてしまった方です。でも、このようなケースはあくまでも外因性のEDなので、女性との接触に慣れれば必ず直ります。ですから、あまり心配しないでね。
 何かと化学(薬)に頼りたくなる現代ですが、バイアグラなどの薬物は性交時の触媒的な1方法でしかないのです。しかも、主に老人性EDの治療薬です。根治的療法にはつながりません。本当にお悩みのようなら泌尿器科での診断をお奨めしますが…
 初心者の方、ソープはお風呂に入ってリラックスしながら遊べる場所なので、まずは緊張という鎧を脱いでおだやかな気分になりましょう。きっと気持ちよくなれますよ。
第17号
10月24日
ソープランドの取締状況取材レポート
  ソープランドは公衆浴場法下では保健所の管轄でしたが、1984年の新風俗営業法後は、保健所と警察の2カ所が監督機関になりました。新風営法施工前に、都内では吉原などのソープ経営者を集めて、警察や保健所が講習会を開いたそうですが、業者からの質問、批判等はとてもできない一方的なもので、これといった成果はなかったようです。何しろ未だにポン引きは減らないし、摘発を受ける店も多いですから・・
 堀之内の場合は、川崎特殊浴場協会という業者間の自主運営組織がありますので、協会に加盟している49店舗については<http://www.soapjapan.com/index2.html>協会が警察や保健所に対しての窓口業務を代行しています。そのために堀之内では警察による打ち込み(摘発)はほとんどありません。残念ながら非加盟店が約10店舗ありますが・・
 警察の基本的な考え方は、「取締りが厳しくなると地下に潜ってしまう、そうかといって手を緩めるともとにもどる、そこで、うまく<管理>することがいちばんの得策」ということなのです。そのためには、売春防止法よりも風営法の方が実効力があると考えているみたいです。
 警察の摘発の基準は、未成年を使わない、覚醒剤に関係している女性は使わない、ヤクザにはつながらない、雑誌などの宣伝を派手にやらない、などです。
 私たちは入店の際に運転免許証の提示を求められたり、「抜き打ちで薬物検査をするよ」と釘を指されたりします。未成年はもとより、身元の不確かな女性の入店を水際で阻止せよという協会のお達しなのです。そして私たちの身元を証明する免許書のコピーなどの書類は協会の金庫で厳重に保管されています。協会では毎月業者を集めての定例会を開き、さらに警察にもその内容を報告しています。堀之内で手入れが無いのは、こうした協会側の自主的な浄化活動を官が評価しているからなのでしょう。
 実際、松山のホステス殺人事件の容疑者、福田和子は逃亡中に北陸のソープで稼いでいたようですし、最近、新宿や吉原のソープが摘発される原因が、薬物で逮捕した女性を調べていたら実はソープ嬢だったから、なんて事例が相次いでいます。協会の宣伝みたいですが、堀之内は本当に安全だとつくづく思います。
 警察庁保安部生活保安課の説明によると、最近の売春関連の摘発状況は、デートクラブのような派遣型売春が主流を占めていて、次いで、外国人女性の事例が目立っているそうです。ソープランドなどで売春行為が行われているのは明白ですが、地域に迷惑をかけているわけでもなく、悪質性が低いので、まず、無許可営業、地域の苦情等、悪質性の高いところから取締るという方針なのだそうです。この悪質性とはポン引きを使ってのボッタクリと雑誌などの派手な宣伝ということです。実際に昨年だけで、営業許可を取っていながら悪質性の高かった風俗店18店舗が摘発されました。内容としては、ホストの紹介で未成年を雇ったソープとか、マリファナで補導された女子高校生のバイト先のヘルスとかで、一昔前みたいな<ヤクザに騙されて風呂に沈められた>なんて事例はいまや聞かなくなったと言うことです。
 無許可の業者の摘発に関しては、すぐに実数がお答えいただけなくて、とにかく「すごい件数」なんだそうです。何しろ、デートクラブのピンクチラシ貼りのただのバイトも軽犯罪法ではなくて売防法そのもので摘発していますし、運転手も印刷業者も同罪ですから。
 警視庁防犯部保安課は、「昔はソ−プにしても暴力団に払うみかじめ料(用心棒代)が覚醒剤や拳銃といった方面の資金源になっていた。しかし、最近はブランド品漁りやホスト通いが未成年の間でも増えている。そこで犯罪事件が発生するようになる。」と頭を抱えていました。本職のヤクザであれば取り締まりもしやすいし、特に、九二年に暴力団新法が施行されてからは、暴力団との関わりが薄らいできています。しかし、ホストは登録制でもないし、一般の素人さんなのですから…
 ちなみに取締り基準のうち、絶対的なものは「地域の苦情」です。警視庁の売春対策の重点地域としても、新宿と池袋があがっています。横浜でもヘルスの入店に規制が入ったのは地域住民の苦情が原因です。その点、大昔から遊郭で栄えた堀之内の存在に苦情を言う人はあんまりいないので、私たちは地域に守られて楽しくお仕事ができます。
 また、「新手の形態は早く芽を摘んでおくことが大事」と、警察庁はいいます。男女交際サ−クル、ビデオ鑑賞会など新しい名称の売春クラブは、一般誌に掲載されたところで摘発の対象になっています。新しモン好きの方は要注意ですね。
 法律が売防法であれ、風営法であれ、売春それ自体については、「被害者のいない犯罪」「目くじらを立てるほどの犯罪でもない」といった警察官の言葉が、今の取締り状況をいちばん正直に表していると思いました。つまり、「(ほとんどが同業者からといわれているが)タレ込み」「苦情」以外は、彼ら取締り側の胸先三寸の世界のようです。ノーパンしゃぶしゃぶ事件なんかが良い例ですよね。そして、自分たちの成績のために取締まっているという印象も拭えませんでした。
 警察庁保安部は「売春防止法の目的は、現代でも充分理にかなった、大切なもの」と語ります。しかし、取締りの現場レべルの声は、「売防法でいう、要保護女子、被害売春婦なんてほとんどいない。みんな賛沢するために売春している」「売防法の刑が軽すぎる。いくら取り締まっても、すぐ出てきてしまうからあとをたたない」「客を処罰すべきとよく言われるけど、客の協力がなければ売春捜査は成り立たない。客にも罰金規定などを設けてしまったら、否認する客が増えるだけだろう。」などなど…
 それでも、「買う男がいなければ、売春はおきない」という点では、取り締まり関係者の意見が一致します。もっとも、「下半身に人格はないからなあ(買春が減らない)」という注釈がつくことも多かったのでした。
 ちなみに、売春対策審議会の担当官は売防法を、「諸外国の法律と見比べても遜色ない、かなりよくできた法律なので法改正は考えていない」と説明します。ですが、遊郭の置屋売春を対象にした「管理売春(十二条)」が、ほとんどなくなり、風営法がある現在、古めかしいだけという印象はまぬがれないのでは無いでしょうか。
 そして、法務省でも「プライバシ−の問題から、現在のところ制定当時と同じ考えで、特に改定については話されていない」とのことです。
 まあ、売春を合法化しようなんで堂々と発言できる議員さんがいるわけでもないし、私たちも<必要な悪>に甘んじていますから、「ざる」が「良いざる」のままなら波風たてない方が良いのでしょうねー。
 それでは、今度は11月に行われる保健所の立ち入り検査を調べてみます。しっかし、神奈川県警は非協力的でした。話が都内のことばかりでごめんなさい。
第16号
10月16日
ヨーロッパの娼婦たち
   日本では非合法なのにソープは「必要悪」としてリッパ(笑)に存在しています。しかし合法ではないせいか、男性向け性風俗雑誌が取り上げる以外、ソープについての文献は余り見あたりません。
 そこへ行くと、ヨーロッパでは売春が合法化されている国も多く、書籍も法律本から客の体験記まで数多くが出回っています。今回は、各国の娼婦の実態を整理してみました。

【オランダ】
 飾り窓で有名なオランダでは、有史以来、売春は合法です。1988年にはサービス業の分野の労働組合にも加入し、法的な職業としての市民権も得ています。もちろん彼女たちは所得税も支払っていますが、健康診断などの義務づけはないようです。
 違法となるのはポン引き行為で、これは売春を容認しているどの国でも厳しく取り締まられています。堀之内にはソープのポン引きはいませんが、吉原などではポン引きの被害が後を絶たないようです。いろいろ調べていくと、日本の法律も、売春に対する取り締まりも、建前論だけで欠陥だらけだなーって気がします。
 オランダにはPIC(売春情報センター)というNPOがあって、観光客のための女性紹介から、安全なセックス指南などの情報を小冊子にして配っています。

【ドイツ】
 法的に売春は合法ですが、通常の職業としての地位は得ておらず、税金も払っていません。しかし、娼婦は保健所への登録を義務づけられていて、性病の検査も強制されます。
 ドイツは訴訟先進国ですが、もし、客が代金支払を拒否した場合、売春婦はこれを訴追できないのに、もし、売春婦がHを履行しなければ客は訴追できるという判例があるのです。この興味深い状況は、売春婦と客の間の契約が、もともと道徳的ではないので、それ故に無効と考えられたという事実の結果だと思われます。
 ベルリンの売春婦の組合HYDRA、フランクフルトのHWGは売春への汚名と戦い、正規の職業としての売春の承認のために戦っています。これらNGOをバックアップしているのが ドイツ緑の党で、彼女たちを通常の労働者と位置づけた上で、彼女たちの地位向上を堂々と主張しています。

【フランス】
 売春自体は合法ですが、ポン引きはもちろん、路上での本人による勧誘も違法です。フランスで最も興味深いのは、<売春婦は、彼女が売春で得た金を使うことができるただ一人の人間である。>という条文があることです。
 つまり、ヒモは売春斡旋罪で取り締まられるのです。実際に、結婚している娼婦が、家族の生計を支えている場合でも、夫が売春周旋の罪で起訴されたケースがあります。ちょっと極端な気もしますが、あくまで女性が自分の意志で接客することを基本にしている表れなのでしょう。

【イタリア】

 売春は合法ですが、外娼(立ちんぼ)や、売春宿の経営、売春宿での労働は合法ではないとあります。では一体どこで営業しているのでしょう??そして、たぶんフランスに近い考えからだと思われますが、斡旋は厳しく取り締まられ、売春婦の夫、ボーイフレンド、または宿の家主に適用されます。
 イタリアでは未成年の売春には特に厳しくて、売春した本人も、それを勧誘した者も道徳的堕落罪で取り締まられます。

【デンマーク】

 売春は合法ですが、それで生計を立てることは違法なのです。つまり私のようなバイトはOKで、本業はNGとされています。社会的な地位が得られず、また定年(?)の早い娼婦に対し、別の本業を持つよう行政が指導しているということで、本業の者が罰せられた前例はないようです。取り締まりの対象となるのは、他人の売春行為によって生計を立てる者に対してのみ、適用されています。

【イギリス】【チェコ】【フィンランド】【ノルウェイ】【スウェーデン】【オーストリア】
【エストニア】【ギリシア】【ハンガリー】【スイス】【トルコ】

 これらの国ではそれぞれ、基本的に売春は合法とされています。ただし、ぽん引き及び売春をプロモートすることは禁じられています。オーストラリアは登録制で所得税も課せられますが、ほかの国の課税状況については不明です。

【ポルトガル】【ポーランド】

 この両国は、法的に売春に関する記述がありません。しかし、実際に多くの娼婦が存在していますから黙認といったところでしょうか。いま、ポーランドの議会では、セックス産業全体にセックス税を導入しようと検討しているそうです。

【ロシア】【ベルギー】

 この両国では法的には違法なのですが、買売春の当事者が摘発されたケースはないようです。ロシア大使館に聞いたら「娼婦は大勢いる。違法だと思うが誰も気にしていない」と言っていました。ベルギーでも黙認状態で時折ポン引きが起訴されるだけです。

 以上が私が調べたヨーロッパの売春の状況です。次回はまた日本に戻って、日本の性風俗産業への取り締まりについて書きます。これは参考文献がないので、実際に警視庁の生活安全課に取材も行いました。お楽しみに(^o^)
第15号
10月10日
売春についてちょっとまじめに考えました〜  其の三
 

「売春の社会史」A

 従軍慰安婦問題に関しては、政府が多少(笑)の謝罪をしたにも関わらず、慰安婦の存在すら否定している輩が多くいますが、私はそれを事実と確信しています。
 1992年の政府見解では1.慰安所の設置に日本軍が関与したこと2.慰安婦の募集に警察権力が加担したこと。3.慰安所での生活は強圧的で、ひどいものであったこと。4.朝鮮半島からも慰安婦を募集したことを認め、謝罪と反省の意を表しました。従軍慰安婦問題は相手国の立場に立って考えるべきですし、歴史上の事実として認め、歴史教育の中で教えて行くべきだと強く思います。
 1918年のシベリヤ出兵は、兵士に出兵の目的を明示できない出兵で、兵士の士気が低下していました。そこで1920年サハリンで憲兵隊管理の公娼制ができ、民間の娼妓を購入して管理していたのです。これが従軍慰安婦制度成立の前提のようです。軍慰安婦制度は軍が主体となって徴収・管理した性奴隷制度です。上海においてもその存在が確認されます。以前から上海に日本人が経営する民間の廓があって、軍もそれを利用していましたが、1932年には、それを軍専用にした上で、さらに娼妓を長崎から送ってもらうように要請しました。これが悲しい女性史の代名詞のように言われる‘からゆき’さんです。この軍慰安制度は日中戦争以後拡大し、多くの慰安所が創設されました。日本の軍隊が膨張していくと強姦が頻発し、それを防ぐために慰安所が必要だったと言われています。この慰安所は太平洋戦争が始まり、東南アジアにも拡大していきました。私もマレーシアでこの慰安所跡を訪ねています。軍が慰安所を作り、植民地、占領地の女性を慰安婦にすることは大問題です。軍は誘拐業者から、‘自由意志’で働く女性を斡旋されたと言い張りますが、「お国のため」に泣く泣く売られた女性がほとんどです。私にはこの時代の皇民化教育が理解できませんが、兵隊さんも「お国のため」に出兵したのなら、その期間くらいはHは我慢して貰いたかったものです。この従軍慰安婦制度は、戦争につきものだという論がありますが、そうではなく、やはり日中戦争以後、特殊的に肥大化した旧日帝の歴史的悪の産物ではないでしょうか。
 慰安所の設置には主たる4つの背景があります。1.強姦防止2.慰安(心を和める)3.性病防止4.スパイ防止(親密になった女性に軍の機密を話してしまうことを防ぐ)の4つです。では、軍と国家機関はどう関与したのでしょうか?最初は民間業者が積極的に動きましたが、やり方が強引で、問題が多かったため内務省が婦女の渡航を見逃させたり、外務省が軍を動かして慰安婦を送り込ませたりなど国が関与していたようです。そして、女性の性の自由を踏みにじり、さらに他民族に対する国家的犯罪を犯したのです。
 私は慰安婦の方々が全員騙されたとは言いませんが、たとえ、お金のためと割り切って覚悟を決めて自発的に応募した人がいたとしても、約束通りの報酬を得られたことがない以上犯罪と断定して断罪するに値する蛮行だと思います。よく、「ソープに通うような不道徳なヤツに慰安婦問題を論じる資格がない」などと一蹴されたあげく、黙ってしまう人が多いようですが、当事者の私から見ても悪は悪なのです。韓国でお会いした元慰安婦の方は、挺身隊だと騙されて慰安婦にされた上、日本の敗戦で植民地ではなくなった韓国人に対する報酬の支払いは一切されなかったと涙ながらに語ってくれました。
 アジア諸地域の慰安所も日本の敗戦で一応終止符が打たれました。しかし日本の敗戦の3日後に進駐軍のための慰安施設を吉原などの旧遊郭に設けることになったのです。野蛮な米兵士から良家の子女を守るためなんて大義名分のもとに・・
 一方GHQはデモクラシーの理念に反するとして公娼制廃止を命じましたが、それに対する日本の反応は1.貸座敷業者は接待所と改名。娼妓は接待婦と呼ばれる。2.一定地域内での私娼は認めた。その区域を地図上では赤く囲った。(“赤線”)1948年6月に出された売春等処罰法案はなかなか審議されるところまで行かなかったのです。戦後は問題が山積みで売春問題が重視されなかったからでしょうか。そして1958年全面施行となった売春防止法により江戸時代に公娼制が誕生して以来続いていた約350年の売春の歴史に表向きのピリオドが打たれました。 
 この売春防止法で刑事罰の対象となったのは売春婦当人と強制売春、管理売春の斡旋者です。この法律によると、当事者の合意のみに基づいて行われる単純売春を取り締まることは多分不可能でした。これは法と言うよりモラルの問題で、したがって刑事罰の対象とならず、故に売春防止法は“ざる法”と呼ばれているのです。
 1966年の風俗営業等取締法では今後建つ個室付き浴場(当時はトルコ風呂)の場所を制限、指定しました。これは言い換えれば、へんな所にさえ建てなければ法に触れないと言うことになります。その後の新風営法では制限区域の中でも新たな出店(新築での)の許可ができなくなりました。しかし、全面的な撤廃には至りません。日本には「必要悪」という便利な言葉がありますからねー。
 以上長々と書いてきましたが、私論として、売春は厳しく取り締まっても絶対になくならないと思います。禁止して地下に潜ったとしたら新たな問題も起こります。従ってこれは高度な倫理問題であり当事者同士の“個の問題”なのです。
 私は100%自由意志で働いていて、入店当時の取り決め通り、多額の金銭を得ています。そして、来店くださる多くのお客様に喜んで頂けることを幸いに思います。しかし、かつて慰安婦にされた方々をはじめ、本人の意思とは裏腹に辛い目に遭われた女性たちのことを考えると、簡単に合法化に賛同もできないのです。
 ただ、できるだけ‘サービス業’であって、不労的な‘売春’とは一線を画したい気持ちは強くあります。お金による一方的、義務的な男女の関係というのはむなしさのみが残るものです。そのために、マグロでいてはただの売春婦だから、せっせとサービスに励むのかもしれません。
 それでは、次回は、諸外国の売春の現状を調べましたのでそれを書きます。

第14号
10月2日
売春についてちょっとまじめに考えました〜  其の二 
  「売春の社会史」@
 
 公娼制は公的権力が売買春を公認・規制し、利潤の一部を公的財源に組み込むという制度で、近世から昭和中期までの約350年間も典型的に存在していました。(廓、遊廓など)
 近世公娼制の特徴の1つは、売春を公認する区域を設定したことです。これに対して近代では、梅毒検査をした後、娼妓鑑札を出して個々の娼婦を公認していました。
 2つ目の特徴はその区域=廓を公認し遊女や遊女屋を集住、一般の世間から隔離したことです。3大遊郭として吉原(江戸)、新町(大阪)、島原(京都)が有名ですが、遊郭開設の理由を挙げてみると、1つ目は遊客の使い込みや横領を防ぐこと、2つ目は人のかどわかし(誘拐)を防ぐこと、3つ目は浪人、悪党の探索に都合が良かったからということのようです。区域を制限するというのは、現行法にも通じていますが、学校はともかく病院のそばはいけないなんて変なこじつけはしなくても良いものをと思います。クサイものには蓋をしたい気持ちの表れなのですから…
 遊郭で働く遊女の出所については、女性を売ることは人身売買の禁止令に引っかかったのですが、唯一、実親が娘を売ることは許されていました。多くの遊女は10歳くらいの時に売られたか、さらわれてきたとされています。恐ろしいことですが、この時代は女性どころか平民にはおよそ人権なんてなかったのです。ですから売春だけの善し悪しを論じても埒があきません。まー、私は現代に生まれたことを喜ぶしかないのですが…
 ところで、ソープ嬢を彷彿させるような女性の存在が江戸時代にもありました。当時は湯女(ゆな)といって客の入浴の接待をし、風呂が終わるとあがり場で三味線を弾いたりする女性を風呂屋1軒について3人おくことが公認されていました。それで、求めに応じてHのお相手もしていたようです。幕府は彼女たちが売買春の主体であると知っていましたが、あくまでも別の仕事をするものとして、下女、給仕女として人数を決めて公認していたようです。そして売買春は黙認し、その売上金を宿場の売上金に組み入れていました。これは売春防止法施行下の当時のトルコ風呂がいつの間にかHを黙認されるようになった状況にも似ています。歴史は繰り返すものですねー。
 江戸時代に売春が公許された理由を見てみると、初期は治安風俗統制のためで、そして、中期以降の公許の理由は経済を潤すためだったようです。
 明治時代、有名なマリア・ルイーズ号事件で、中国人の「苦力(クーリー)」が逃亡し、日本政府に救済を求めてきました。日本が奴隷というのは人道に反していると批判したところ、日本にも娼妓という名の奴隷がいるじゃないかと中国側に言われ,1872年に「娼妓解放令」を出しました。これは人身売買禁止令ですが、本人の意思に基づく「売女稼ぎ」は認めたため公娼制が再び発展し貸座敷制度が登場しました。堀之内には‘ちょんの間’として貸座敷が残っていますね。これは梅毒検査をした後、娼妓鑑札を出して個々の娼婦を公認するやり方で、これが近代公娼制の特徴でした。
 明治時代になると、キリスト教信者らによる廃娼論が台頭してきました。夫婦以外の性はすべて姦通とするキリスト教では当然の理屈だったのです。それに対し、植木枝盛ら存娼論者が反論を展開しました。存娼論とは(1)区画を限って公許すれば淫風を限定る。(2)梅毒検査が可能。(3)公娼を廃すれば、密売が増え廃娼の目的を遂げられない。(4)多くのものが生業を失う。という考えで、これは現行法が制定されたにも関わらず、ソープでのHが黙認されていることに通じます。
 存娼論者には福沢諭吉がいますが彼は「品行論」の中で宴会に必ず芸妓を呼ぶことを批判し、芸者遊びは文明国のものとしては恥ずかしいことであると書いています。しかし、道徳的には娼妓はない方がよいが、人間の動物としての一面を考えるとこの面を抑制することができないからこれをある程度認めてより大きな害を防ぐため芸妓は必要であるとしています。まさに的を射ていますが、残念なことに、娼妓に対して倫理的憎悪を抱き蔑視しています。それで売買春は禁じることはできなくても、隠すべきだと考えたようです。この考え方が、日本の国のエライ人の考え方ですよね。伊藤博文も存娼論者でしたが、彼はもっと役人ぽくて、不徳は汚濁であり、一カ所にまとめて管理すべきだと、クサイものに蓋論を展開しました。
 <公娼>と銘打っているうちは、学者も政治家も見過ごすことができないらしく、一度はこの問題を取り上げているのですが、法改正に至るほどの動きも議論もなく、マリア・ルイーズ号事件という外圧によって、やっと「娼妓解放令」ができたというのがいかにも日本のお役所らしいと言えますよね。
 売春防止法の施行にしたって、元はといえば、GHQがデモクラシーの理念に反するとして公娼制廃止を命じたことがきっかけです。民主主義の理念の中に、女性の人権問題も含まれてはいましたが、騙されて売られた女性を救済することが一番後回しになっていたという歴史的事実には当事者としても怒りを覚えます。
 まー、外圧に弱い日本のお国柄ですから、鯨料理は当分高嶺の花ですねー。(脱線)
 さて、いよいよ昭和のお話へ突入するわけですが、風俗史というより、日本の近代史を語る上で、絶対に無視できない‘従軍慰安婦’問題を経て現代に至ります。それでは次回はこの問題から書いてみたいと思います。
第14号
10月2日
売春についてちょっとまじめに考えました〜  其の一
   以前、会社の内規で禁止されているからお店のバイトは絶対秘密なんだと書きました。それも事実のひとつではありますが、実際は複数の要因が絡み合っているのです。国民の3大義務のひとつである納税をきちっと果たしていないから、……なんて言うのは、「会社に対してマズイ」という以上に偽善的な気がします。日本には売春防止法があるので、私たちは犯罪の一端を担っているからというのもかなり言い訳っぽい気がします。やはり、近代以降の教育の中で培われた性道徳に縛られているせいで、なかなか大っぴらには公言できないのす。かつては、男女が席を隣に並べることすら不道徳だったお国柄ですから…。  
 それにしても、法律的には私たち店の女性は罪に問われることは無いのにも関わらず、‘売春’とは世にも聞こえの悪い言葉です。だからついつい卑屈にもなるし、絶対秘密を決め込まなくてはならないのです。では、そもそも‘売春’って何でしょうか?
 江戸時代以前には売春に該当する語はなく、性を売るという概念は江戸時代になってできたようです。言葉としては、近世には“売女、売色”、近代には“売淫”、そして戦後、1956年の「売春防止法」で“売春”という言葉が定着しました。でも、ホント、言葉の変遷がどうであれ‘売春’ってイヤな響きですねー。で、その売春防止法第2条では売春は「対償を受け、または受ける約束で不特定の相手と性関係を持つこと。」と定義されています。ここでのポイントは、“対償を受ける”ということと、“不特定の相手”ということです。売春には2つの形式があります。1つは本人が選択した「生業」である場合。もう一つは、第三者が営利目的で強制する場合で、歴史的、社会的に問題になるのは主として後者ではないでしょうか。
 世界的に見ると、B.C.7世紀にバビロニアで裕福な市民が女奴隷に売春をさせてお金をもうけていたという史実がありますが、日本の古代では売春の事実は確認されていません。それは、古代の性関係は自由であったため、わざわざお金を払う必要がなかったということがあげられ、奴卑の売り買いで女性の方が高かったという事実もなかったからです。ちょっと地方へ行くと‘夜這い’なんて風習が、近代以降も続いていたのですから…。  
 中世の遊女は、芸能者としての側面が強く、宴会で芸をし、その後客と性的関係があったとしてもそれが売春の原点とはいえないのではないでしょうか?「蓮如上人子守唄」などの資料によると、専業娼婦の登場は16世紀初めのようです。そして江戸時代の17世紀半ばに公娼ができて遊女や売女(ばいた)が登場します。“売女”は当時は売春行為そのものを指していましたが、後には私娼を示すようになり、公娼の遊女とは区別されていました。この場合の公と私の区別は、許可の有無なのか納税の有無なのか、はたまた女っぷりの善し悪しなのか私にはわかりません。ちなみに堀之内は江戸時代からの公娼街でした。
 私が最も聞こえが悪いと思った‘売淫’という言葉は、近代になってキリスト教者の廃娼論の中で使われた言葉のようです。キリスト教は一夫一妻制ですから、公娼制は姦淫を公許する事であり、故に売淫という言葉が使われました。この言葉の中には娼婦への蔑視の姿勢が強く内在していると思われます。ヨーロッパではキリスト教の影響で 売春というものを倫理的、道徳的にとらえていたため、娼婦に対する追放排撃が行われ、一方で救済が行われていました。日本では売春の問題を道義的、倫理的に議論したことがほとんどなく、性規範が良くも悪くもルーズなのではないでしょうか。この点から考えると、キリスト教者の廃娼論は歴史的には価値のあるものだったかもしれません。しかし、一方で娼婦を差別迫害した側面も否めません。
 私は無宗教者ですし、結婚願望もないので一夫一妻はあまりピンときません。それで、ちょっと生物学的に考えてみますと、卵子は1ヶ月に1個、精子は1ヶ月に数億個も生産されます。この決定的な生殖細胞の違いは見過ごせない気がします。もちろん、女性が性的に欲情するのが月に一回というのではありませんが、多くの場合、男性のそれの方が大きいのは事実です。だから商行為に結びついたのも自然の流れだと思います。
 ちなみに私自身の意識としては、春(要は身体のこと?)を売っているつもりはありません。仕事的にはちょっと特殊なマッサージ施術者ってところでしょうか。
 さて、ここまで書いてみて思うのは、お店で働く当事者としての私が売春の肯定論を展開するのも実に変な話です。でも、折角、今のバイトをきっかけに“ざる法”といわれる売春防止法や風俗営業法などを勉強する機会が持てたので、それらの矛盾点を考えてみたいと思います。
 それでは長くなりましたので、この続きは次回…
第13号
 9月19日
なぜか突然の発熱…もしかしてサッカー熱??
  元気だけが取り柄の私でしたが、敢えなくダウンしてしまいました。不覚にも土曜の夜に悪寒を感じ、
検温したところ体温は7度8分。「あ〜、やっちゃったー」という感じでした。
とにかく急いで家に帰り、解熱剤を飲んでぐっすり寝たのですが翌朝も熱は下がらず、
ついにお店を休むことになりました。来店予定だった方には本当に申し訳なく思います。
思えば、ここ数日、冷房にしたりドライにしたりと、個室でのエアコンの調節に苦労していまして…。
汗っかきの私はついつい冷やしすぎて風邪をひいたようです。
そんなわけで、日曜日は今年初めての休日になりました。
日中は風邪薬が良く効いて、ほとんど寝て過ごし、夕食の頃起き出して、
そのままオリンピックのサッカー中継を見ました。自他共に認めるサッカー狂の私ですので、
もしかしたらサッカー見たさの仮病??と疑われても仕方が無いのですが、
当の本人も土曜の夜に数年ぶりの発熱なんて自分で自分が疑わしいくらいですから…
かくしてパジャマのままでのテレビ観戦と相成ったわけです。
子供のころから高校選手権が好きで、ヒマさえあれば西が丘に三ツ沢と飛び回っておりました。
最近は稲本や明神のようなユース出身者が台頭してきていますが、
私としては正月の国立競技場で実際に目の当たりにしている選手に少なからずの思い入れがあるのです。
先取点は国見時代よりさらにドリブルが上手くなった三浦からの絶妙なパスでゲット!
この時点で私の体温は7度フラットくらいには落ちていました。
2点目が入った時にはすっかり頭痛も消え、平熱に戻ったようです。
しかし、腑に落ちないのは中村の交代です。彼の高校時代の決勝戦も国立で観戦しましたが、
あの時は北島の陰に隠れていた大器がようやく大舞台で花開いたというのに…
まー、中田の抜けた20日のブラジル戦では今までになくオフェンシブに動き回って欲しいものです。
ちょっと気になったのは、3点目を狙って投入された本山です。ちなみに。一昨年の選手権、
準決勝には行ったのですが、決勝は大雪で観戦を断念しました。その本山、
スペースがうまく作れず苦戦していた感じ…
それにしても、日本が勝って私の風邪も治りました。
さて、目下の悩みは20日はなんと、19時から会議があるのです。よりによって…
今ほかのスタッフとどうにかしてテレビを見れないか画策しています。
それではみんなでブラジル戦を応援しましょう。
第12号
 9月8日
トルコヘアの謎
  私が入浴時にターバンを被ってしまうというのは、以前このコラムにも書きましたが、
ストレートの髪に相当なレイヤー(段)がついているため、後れ毛がZローションに侵されるのを
防ぐためなのです。お客様からは「女の子は大変だね」と同情されますが、
本当は自分の髪の始末に時間を割くようではプロとして失格なのだとは思っています。
 昔のトルコ時代のお姉様方は違ったようです。かつて、『S』でバイトをしていたとき、
町内のビジネスホテルに宿泊し、10時にチェックアウトした後の時間つぶしに美容室へ行こうかと考え、
先輩に相談したことがあります。そうしたら「堀之内の美容室はダメ、ブローは下手だよ。
トルコヘアしかできないから。」と言われました。トルコヘアって何だ???
わからないことがあると調べなくては気が済まない体質の私は、図書館へ行って
トルコ人のヘアスタイルを調べたのですが、案外ロングヘアが多く、どうやら違うようでした。
当の先輩嬢は、実際のトルコ時代の方では無いので「アップのことだよ」という以外はご存じ無いようでした。
トルコの時代は和風のお店が多かったと聞きますから、着物に似合うアップだったとは想像できますが、
<トルコヘア>と名が付くくらいですから、きっと独特のヘアスタイルだったに違いありません。
 私は毎月性病の定期検診に行きますが、ここの院長は、なんと旧帝国大学(京大)出身という
化石のような方です。堀之内の女性との付き合いは赤線時代に遡ると言うことでしたので、
気になっていた髪型のことを聞いてみました。そして遂に解明したのです。
「それはね、水泳の小谷実可子みたいなヤツだよ」ということです。つまり、
シンクロナイズドスイミングの選手のような引っ詰めて頭上でお団子を作るアレ。
 最近発見した川崎堀之内特殊浴場協会のHPにも
<昭和40年代中頃 2〜3年の間に同地区に次々とソープランドが誕生
 ・当時のお店・女の子は和風が多く、出勤前に髪結いさん通いだった
 ・連日の大盛況で待合室はお客で溢れ返っていました
  当時の堀之内には70軒、南町には23軒のソープランドがあったとされる>
 という記述があります。つまり、泡踊りの誕生で人気を博していた頃、
今よりずっと短い接客時間でマットあり2回戦ありのバイオレンスなお遊びをしていたわけですから、
入浴のたびに髪の毛の手入れなどするヒマがなかったのでしょう。それで、
安心して入浴もできてベッドで励んでも乱れないトルコヘアがあみだされたというわけです。
 現代のソープで接客をする私たちは、ついつい外見的なことばかり気にしがちです。
でも、昔のお姉様方が、内容重視で、髪の上げ下ろしをする間も惜しんでサービスをされていたことを思うと、
もう少し思いあらためなければ…と思う今日この頃です。
第11号
 9月5日
コンドームに関する私的考察
   私はプレイの際、必ずスキンを使います。これはお店の決まりごとであり、
堀之内特殊浴場協会の自主規制でもあります。堀之内は快楽と安全をセットで提供している街です。
 もう少し広いところで考えると、1948(昭和23)年と言うことですから、
公衆浴場法と同年に施行された性病予防法の第八章、罰則の条文に、
<伝染のおそれがある性病にかかつている者が、売いんをしたときは、これを二年以下の懲役
又は一万円以下の罰金に処する。>とあり、経営者側つまり斡旋する側への罰則は更に重いものでした。
この法律は後に廃止されましたが、1956(昭和31)年に売春防止法が施行される以前のものであることを
鑑みると、性交渉が商行為として認められていた頃だからこそ、
大切なお客様を病気から守るという考え方ができたのでしょう。
 1989(平成1)年に後天性免疫不全症候群の予防に関する法律、有名なエイズ予防法が成立した際にも、
性病予防法の元となった伝染病予防法の条文が多数盛り込まれていましたから、
罹患の可能性がある者がそれを隠して性行為に及んだ場合はそれだけで罪に問われることになっています。
アメリカでは殺人罪に問われたケースもありましたよね。
 私は法律家でもありませんし、ましてや年中スピード違反をしていて、法を順守するどころか、
バレなきゃいつでもアクセル全開人間です。ですから、法律がそうだからスキンをつけましょう!
という論理を展開するつもりはありませんが<本当にいけないことなのだ>ということを
多くのお客様に知っていただきたいのです。
 最近、ソープ情報をいろいろなHPで仕入れてくる方が増えましたが、良く話題に上るのが
スキン着用の有無なのです。「この店にNS(ノースキンの意)の子はいないの?」なんて
露骨に質問してくる方もいらっしゃいますし「堀之内の○○はNSだって掲示板に出ていたよ」と
デマを得意げに吹聴している困った方すらいるのです。
 私自身の考えを書きますと、商行為であれば当然のことで、
例え私生活での恋愛相手であっても生産を伴わない(子供を産む気が無い)性交渉では、
病気の予防と避妊も含めて絶対にスキンを使うべきだと思っています。
 ソープで遊ばれるお客様は、NSのソープ嬢は<罹患の可能性のある者>だと言うことを
肝に銘じて遊んで欲しいと思います。定期的に性病検査は受けますが、予防策は無いのですから…。
そして「親」としての責任をとるつもりが無ければ、避妊目的にもスキンを使って欲しいと思います。
それが享楽的なプレイを楽しむための基本的な倫理では無いでしょうか?
 NSは一見<サービスが良い>と捉えられがちですが、本当のサービスは、
大切なお客様にリスクを負わせないことだと信じています。
 ちなみにエイズ予防法の第五条には、<医師は、エイズの感染者であると診断したときは、
当該感染者又はその保護者に対し、エイズの伝染の防止に関し必要な指示を行い、
当該伝染者の年齢及び性別、当該感染者がエイズの病原体に感染したと認められる原因その他
厚生省令で定める事項を当該感染者の居住地を管轄する都道府県知事に報告しなければならない。>とあり、
いろいろな調査をされとても恥ずかしく辛い思いをするのです。
 これからも、堀之内が安全で安心な歓楽街であり続けられるように、
今一度お客様の「遊び」に関する認識をあらためて頂けたら幸いに思います。
第10号
 8月29日
元気な研修生
  私が普段使用しているPCは会社の自分のデスクにあります。
以前は個人所有のノート型があったのですが、リュックサックに入れて
単車でカッ飛んでいたら蝶番がイカレてしまいだいぶ前に廃棄しました。
つまり、この原稿をかくのも、店用の名刺を作るのも
会社のデスクで誰もいない時間にこっそりと行っているのです。
いま私の課に、来年入社予定の大学院生がインターンシップで来ています。
この院生が近頃希にみるヤル気満々ギャルで、私より先には絶対帰りません。
仕方なく、早起きして8時過ぎに出社するとすでにコーヒーを入れていたりします。
もう名刺も残り少ないし、新しい原稿も書かなければ…と思うのですが、
土曜日の26時(つまり日曜日の2時)と日曜日の25時に、
お店帰りに会社に寄った時も黙々と仕事をしていました。
うちの課で一番長い時間仕事をしているのは私だったのに
すっかりお株を奪われたって感じです。
でも、「早く仕事を覚えたい」という意気込みも
「先輩より早く帰るわけにはいかない」という姿勢も
私が新人だったころは当たり前でしかなかったことでした。
それが、「この子はヤル気あるなー、エライなー」って感心するってことは
それだけ、最近の新人がダメだからでしょうか…
「最近の…」というセリフが出ると言うことは
私が年寄りになった証拠かもしれませんが…
お店の中でも同じことを感じます。若い新人さんの中には、
挨拶のできない人もいます。こちらが「お早う!」と声をかけるのに対し
「あっどうも」と上目遣いに呟くだけだったりして、一瞬腹も立ちますが、
そういう輩は大抵時間が守れなくてクビになったり、
お客様からクレームが出たりして退店していきます。
結果的にラ・ドルフィンはしっかり者のお姉様ばかりのお店になってしまって…
でも、店が若い新人を嫌っているのでは無いのです。
堀之内の良き伝統を継承してくれるような有望な若手が入ってきたら
店中の女の子で交代に講習しても良いとさえ思っています。
しかしながら、なかなかヤル気のある新人が入ってきません。
特にヘルスからの転身者は<講習無し><マット無し>などという希望が多く、
ラ・ドルフィンでは働けない子ばかりです。
まったく困ったものだと思います。バイトの私が思うくらいだから、
社長や店長はもっと頭を痛めているのでは無いでしょうか。
ところで、会社の元気印の研修生ですが、夜中の24時を回っても
帰ろうとしないので、先ほどコンビニに使いに出しましたが
そろそろ戻ってきそうです。本当はもっと実のあることを書きたかったのですが
なんだか今回は言い訳と愚痴になってしまいました。ごめんなさい。それではまた。
第9号
 8月20日
私は実感主義者!?
  大抵の企業の内規では副業の禁止をうたっています。
当然私の会社も例外ではなく、お店でのバイトは社内規定に抵触します。
しかし、不景気のおり、定期的なバイトをしている会社員は結構いるものです。
ただ、そのほとんどがコンビニやピザ屋などの学生風のもので、
高収入系でもクラブホステスどまりですよね。
ソープでのアルバイトはさすがに珍しいと思います。
私の場合、学生時代にわずかでしたが堀之内の水に浸かった経験が
ありましたから、バイトといえばソープしか思いつかなかったのも
確かなのですが、率直にいってこの仕事が肌に合うからまた復活したのです。
クラブのホステスさんなどに比べて圧倒的に収入率が高いことも勿論ありますが、
要は精神的疲労と肉体的疲労のどちらを選択するかということになります。
ここが性格の違いなんだと思います。
一般的に、ホステスさんはクラブに来るお客様を「惚れさせて通わす」と
言いますよね。ということは、お客様に対しても「惚れたフリ」くらいはするわけで、
しかもそれは一人二人ではありませんから、
その精神的な気苦労は計り知れないと思います。
ホステス経験の無い私にはとても入り込めない虚飾の世界のような気がします。
人間が主体的で自覚的に生存している様を哲学風に実存主義などと申しますが、
曖昧なことの苦手な私にはその傾向が強いようです。
ソープのサービスはとてもはっきりしています。
それぞれのお客様の性感を刺激することで「あー、気持ちがいい」という
確かな反応が得られます。勿論お世辞で言う方もいらっしゃるかもしれませんが、
うわべだけの「綺麗だ」とか「愛している」よりも、私には現存した言葉に感じられます。
最近ではソープの世界でも<恋人系の接客>という、
つまり女性が積極的にはサービスをしないことが主流になりつつあるようです。
これは以前のコラムでも書きましたが、
世をあげて素人流行りの時代に仕方の無いことかもしれません。
でも、私はまやかしの恋愛ごっこよりも、
汗を流してサービスした後の「気持ちいい」の方が断然好きです。
お客様の本音が実感できた時が何よりの喜びだからです。
だからといって言い訳ではありませんが、
ついつい<見かけ>が後回しになってしまうのが私の欠点かもしれません。
お風呂を楽しむための備品はいろいろと買いそろえたり(でも100円均一中心ですが…)
しているのに、衣装は常にバーゲン品。
お化粧もアイメイクだけでファンデーションや口紅はつけません。
マットで髪を振り乱しても良いようにと入浴時にはターバンをかぶってしまい、
本当に色気のないこと甚だしいのです。
もう歳だけはイイお姉さんなのだから、
これからはもっと大人の色気を演出しなければならないなーと思うのですが……
まー、とにもかくにも、一緒に気持ちイイ汗を流してくださる方、
クーラーの程良く利いたお部屋で楽しくお遊びしましょうね!
それではまた来週……
第8号
 8月11日
マック世代の風俗遊び
  ご存じのように堀之内は旧東海道の川崎宿の一角に設けられた遊郭でした。
吉原が、有名な振り袖大火で日本橋から移転したことを考えると、
堀之内は、日本でも屈指の歴史ある花街なのではないでしょうか。
私が以前お世話になった『S』も、旧遊郭から引き継がれたお店で
オーナーのT氏は堀の内で生まれ育った生粋の花街っ子でした。
そんな伝統あるお店ですから、
当時の『S』のお姉様方も、スタッフの男性たちも、
粋で情緒のある水商売哲学をお持ちだったように思います。
かつて、昭和40年の初期ごろと聞いていますが、
堀之内ではマットプレイを始め、椅子や浴槽を利用したプレイ
あるいは2輪車3輪車など、凄い勢いで性技が開発された時代があり
バイオレンスサービスの堀之内などと呼ばれ隆盛を極めたそうです。
ちなみにこの頃の吉原のサービスはスペシャル(手こき)どまりだったそうで
これは当局のお目こぼしが得られなかったからでは?と推察いたします。
しかし、この頃を知る堀之内の古いお馴染み様たちは、
「技だけじゃ無いんだよ、ハートが違うよ。今の娘たちとは…」
などとおっしゃいます。何となくわかるような気がします。
今どき、接客業もマニュアル化され、その最たるものがマクドナルドや
デニーズなのでしょう、お客様に対しての一語一句が決められています。
でも、デキルお姉様はお客様によって言葉の言い回しさえ代えています。
熟年の紳士には<パパ、お帰りなさい。寂しかったわー>と若い愛人になり
若いサラリーマンには<私にまかせてごらん>と俄然リードしてしまうのです。
ヘルスに行ったお客様が、対面した女の子がいきなりメニューを出して
<コースは何にする?Aはね、手こきだけ Bはフェラと、パイズリか素また
 Cはそれにポラロイド2枚かパンツがついててお得よ。さあ選んで…>
とマックと同じ調子で<コーラが付いてお得よ!>的に言うのに驚いたそうです。
『S』の先輩からは、お客様が本当に何をして欲しいかは相手の目を見て感じ取れ
と言われました。何しろ男の方は、さーもう1回と心で思っても、
つい「キミ、疲れたでしょう?もういいから…」なんておっしゃるわけです。
言葉に出すのは簡単ですが、こういうワビサビ的な心を読む技こそプロの技です。
私は今でもからっきしこういうことがダメで、本当に無理な方を押し倒したり
その気がある方にさっさと下着を着せてしまったり失敗ばかりです。
それにしても、マック育ちのヘルス嬢がいずれこの街に溢れるのでしょうが、
<いらっしゃいませ!お客さん、今日は何発抜きますか!!>
なんて時代を想像するのはイヤですねー。
第7号
 8月7日
マットの味付けはいかがですか?
 

今月は自分のお部屋を持たせて貰ったので、
8月初出勤の4日は、会議で外へ出たあと帰社せず川崎へ直行。
酒屋と100円ショップを回ってお買い物をしました。
酒屋ではブランデーとカクテル用のリキュールを数種購入。
お客様がお部屋で飲むためだと思うでしょう?違うんです。
中には洋酒を召し上がる方もいらっしゃいますが
せいぜい<頑張った後のビール>という方がいるくらいで、
飲酒目的のお客様はめったにおりません。
実は購入した洋酒はマットプレイで活用するのです。
人間には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感がありますが、
お店でのプレイは視覚と聴覚と触覚を満たす行為が中心で
どうも嗅覚と味覚がおろそかになっているように感じていました。
嗅覚に関しては、おしぼりに香水を振ったり、お香を炊いたりと
多少の工夫はしましたが、味覚を追求したことがなかったのです。
でも、考えてみると<ファーストキスはレモンの味>と言うくらいで
「味」や「香り」はHな気分を高揚させるためにも
案外重要なファクターのはずです。そこで、マットプレイで使う
Zローションに味と香りを付けてみることにしました。
取り敢えず、今回は4種類を用意しました。
@ 蜂蜜入りブランデー
蜂蜜はZローションによる肌荒れ防止効果もあるので長時間マットの方には
おすすめです。今回ブランデーは芳醇な香りのレミーを使っています。
A ラズベリーリキュール
結構大人っぽい香りでZローションに溶かすととても綺麗なピンク色です。
B メロンキュラソー
甘くて懐かしい香り、子供のころによく食べたメロンシャーベットの香りです。
C ピーチツリーリキュール
まろやかな酸味で、ラズベリーと比べると少女っぽい味といった感じです。

この3日間でのお客様の反応も概ね上々ですし、
私自身<美味しいオ*ン*ン>のおかげでマットが更に楽しくなりました。
それにしても、8月だというのに、ラ・ドルフィンはいまいちヒマです。
一体どうしちゃったのかしら?みなさん夏バテですかー?
私、控え室で昼寝ばかりしていて、身体が余って困っています。
興味のある方はぜひ味わいに来てくださいね。
たぶん今月限りですから、部屋持ちは…

第6号
 8月2日
2足の草鞋のバランスシート
   お客様は2足の草鞋を2年以上も履き続けている私が不可解なようです。
私はお店に行かない平日、世間一般でいうところの「カタイ」会社で
働いています。コラムの紹介ではOLと書かれていますが、私は自分の
ポジションをOLと表現したことはありません。元来徹底した男性社会で、
雇用均等法の今だからこそ存在を許されているようなもので、会社内では
女性だと見られたことが無いのです。ですから会議も出張も男女の別なく
参加しますし、入社5年で部下を預かりおかげで土日の休暇が確約されたので
バイトを始めたわけです。
 所変われば名も変わると申しますが、私の場合、状況も立場も性別すらも
変わっています。そして、そのどれも私ですがが、私の部分であって
私全体ではないのです。
 会社では「堅くて」「男で」「厳しい」私が、<純>の時は
滅法「柔らかい」「女性」になります。
 私はその場その場の役割によって変幻自在になれるのが特技というか
趣味なのかもしれません。でも「中心的な私」が役割をきちんと
結びつけているつもりです。だから多重人格ではありません。
 ちなみに多重人格とは、この「役割をつなぐ私」そのものが消えてしまい、
役割だけが相互に関連なく独立して動き回っている状態ではないでしょうか。
 私は今の心地よい二重生活に至極満足しています。平日のストイックな状態も
とても気楽で仕事に没頭できますし、土日の<純>は「経済的」なことも
さることながら「女」を満喫できて、おかげで体の疲れは吹き飛びます。
 みなさんがご活用のインターネットは大変ヴァーチャルな世界ですから、
自分というのは割と簡単に多層化してしまえるのだと思います。でも、私は
実態のある身体を動かす(使い分ける)ことによって普通の人の2倍楽しんでいます。
 お客様に「よく両立できるね」と言われますが、両方の私とも今の私にとって
必要な私なので、この均衡を保持できる間はお店のバイトも続けるつもりです。
 だから、「いつまで続けるの?」という質問には明確な答えが出しにくいんです。
大抵の女の子は「○○歳まで」とか「○○万円貯まったら」と数字で返答しますが
私の場合、そういう算数的目標値もありますが、<辞めても私が私でいられるなら>
などという曖昧なことになってしまうのです。
 さて、ただ今25時。オフィスで一人で残業中に脱線してコラムを
書いているのですが、明日は大事な会議です。
やばい!さっさと書類作らなくちゃ!!
 ではまた週末お店でね(^o^)
第5号
 8月1日
8月はお部屋持ちです
   6月は地方出張もあり、ほとんど出勤できなくて
指名の成績はビリに近かった私ですが、
7月は土日と連休に加えて、会社帰りのバイトもこなし
出勤日数も10日を超えました。
社長には「もっと出れないの?」と言われていますが
指名も50を越えたので、8月は専用の部屋を持てます。
中には私の拙いこのコラムを見てのご指名様もいらっしゃり
嬉しい限りです。本当にありがとうございました。
でも、実物を見てがっかりされたかしら…
もし、楽しかったなって思われたならまた足を運んでください。
イチゲンでは寂しいですから…
それにしても7月の飛び石連休中、私は夏風邪をひいて
お鼻ぐすんぐすん状態。その期間にこられた方には
本当に申し訳なく思います。本当のプロだったら、
自分の体調管理も仕事のうちですから、
まだまだ私も青いなーって感じです。今は完全に復調しました。
さて、8月は会社の休みもあるのでいつになく出勤できそうです。
その上ラ・ドルフィンで一番広い3号室を専用にできるので
冷蔵庫には冷たいお飲物とおしぼりを仕込んで、
お部屋ももうちょっと綺麗に飾って、
楽しく遊べる空間を演出できたら、と思っています。
そして、マットの時にちょっとしたオプションを考えているので
来てくださる方はどうか楽しみにしてくださいね。
このマルヒのオプションのことは次回書きます。
少々仕込みが必要なので…
ではまた(^o^)
第4号
 7月19日
伝説の泡姫の引退後・・・
  暑い日が続いています。
お店の方も忙しくてみんな嬉しい悲鳴をあげています。
水商売の世界では、2・8(ニッパチ)などといって、
2月と8月が暇なんだそうですが、風俗店の真夏はカキイレ時です。
ボーナスが出て懐が暖かいからなのでしょうか。
一説には、人間は暑いと発情するからだと言われていますが、
案外あたっているかもしれませんね。だって、
動物の世界では春先や秋口に愛の営みが行われますが、
そういえば、その時期はお店は比較的ヒマでしたから(笑)
まー、これからが夏本番ですから、暑さにバテずに
明るくHに乗り切りたいものですね。
ところで、どこかのHPに堀之内の人気投票があって、
テクニック部門で私が一位だったとお客様に聞きました。
正直言って嬉しさ半分、戸惑い半分って感じです。
かつて『S』に新人で入店した時に、お仕事の手ほどきを受けた
お姉様は伝説の泡姫と言われた方でした。
何しろ『H』という高級店で指名を月に200本取る超売れっ子で、
『S』のオープンに際してスカウトされ、総額7万円の『S』でも
100本近い指名を取っていたのですから。
そのお姉様が在籍していたときの『S』は歴史と伝統を重んじる
マスコミ取材お断りの店で、それでも銀座あたりから接待のお客様が
わんさか押し掛けて大変繁盛していました。
私は学生時代の最後の冬を
この店のバイトホステスとして過ごしたわけですが、
お姉様との出会いは、お店の仕事に留まらず、
社会人としての気配りやマナーまで仕込んで頂けて
本当に有意義なものだったと感謝しています。
春になり、私は『S』を辞め、
大学卒業と同時に現在の会社に入社、
まもなくお姉様もビルを建てられて引退されました。93年ですから、
バブル崩壊後日本経済が混迷を極めていた時代です。
一昨年、私は再びバイトを始めようと、
5年ぶりに堀之内に来たわけですが、あの隆盛を誇った『S』が
雑誌広告で細々と生き延びている様を目の当たりにして
ほんの数ヶ月の在籍とはいえ
一応出身者としてはとても悲しい気持ちでした。と、同時に
気立ての良さや個性的な技で馴染み客を掴んでいったという
花街の基本のようなものが
すっかり消えていた現実を腹立たしくも思いました。
いまでは私も年齢的にはすっかりイイおねえさんになりましたが、
所詮週末だけのバイトの身。
その私がテクニシャンだなどと言われるなんて、
どこかおかしいと思いませんか?
本職のキャリア嬢が、
「私シロウトなの〜」と言って手を抜きまくるコギャルに
圧倒されてしまっているのだとしたらこれは由々しき問題です。
昔『S』の常連だったお客様たちは、
決して女には不自由していないのに、彼女や奥様では
経験できない至上のプレイを堪能したくて来店されていました。
でも、最近の風俗マニアの方は<若い素人と恋人気分で・・・>と、
求めるものが変わってしまったのです。
そういう風潮が、キャリア嬢を年齢的な理由で虐げた結果、
サービス低下に拍車をかけたのではないでしょうか。
私のつとめる店は比較的サービス指向の高い女性と
それを望むお客様が多いですが
もっともっと声を大にして「ちゃんとサービスしてくれ!!」と
要求なさらないと、そのうち堀之内は
「わかんな〜い」「かったるい」が口癖の
コギャル天国になってしまうような気がします。
第3号
 6月30日
<南の島から帰って来ました>
  ここしばらく海外を含め、長期の出張が続いてしまい
お店のバイトがだいぶおろそかになってしまいました。
先週、出張先の南の島からようやく帰って来たので
7月は週末だけですがバイトにも精(性)を出します。
それにしても、出張先は東京から1200キロほど南の島で
紫外線も強烈でした。もともとマリンスポーツをやっているので
日焼け肌がトレードマークのような私ですが、今年に入ってからは
熱帯と亜熱帯に何度も行っていたので、さらにこんがりしています。
(色白好みの方ごめんなさい)
でもやっぱりバイトがバイトですから、皮がむけて
ボロボロにならないように細心の注意をはらっています。
出張前には日焼けサロンで下地を作り、現地では日やけ止めを
しっかりつけて、アフターケアも怠らないで…
ですから渋谷系ギャルさんたちみたいに汚くは無いですよ。(笑)
さて、出張も多く忙しい本業の間隙を縫ってのバイトですが、
彼氏いない歴3年にもなる私にとっては
ちょっとしたレジャーでもあります。
特に休み明けの出勤前夜は、思わず一人エッチをしそうになり
「あしたお店でガンバロウ…」なんて思って我慢しています。
その分お店で楽しもうと図々しくも考えているものですから・・
ただ、休み明けの女性の体は結構デリケートなので
あんまり激しく攻められるとアソコが切れたりしやすいんです。
だからそのへんよろしくね。まー、とにかくお金だけじゃなくて
楽しくバイトをしたいと思っていますから、スリム好きな方
お暇なら来てくださいね。
  第2号
 6月6日
         困ったお客様の話 (チャオ一言メモものごとには、順番ってものがあるのですね・・・・・・-)
  5月はGWなどもあり、比較的お店は空いていて、控え室で他の女の子との
雑談に興じる時間を多くもてました。そこで話題になった困った話をします。
ラ・ドルフィンは、いわゆるお姉さん系が多いと言われているので、
二十歳そこそこの若いお客様も多くいらっしゃいます。
そういう方は、同年代のコギャルより、年上に指導を仰ぐような感じで来店されま
す。
だから「よろしくお願いします」「教えてください」なんて頭を下げられちゃったり
もします。
そこまでは良いのですが、最近女の子の間で多いと言われているタイプが
<元ヘルス常連の童貞さん>なのです。
よく、なんとか童貞って言いますが、風俗童貞、ソープ童貞、まじもんの童貞さんは
あんまり問題ないのです。しかし、<元ヘルス常連の童貞さん>には結構泣かされま
す。
なぜなら、童貞なのにSM経験はあるとか、凄い人になるとAFはあるのに本番は無し・

基本的にヘルスのルールは本番無しです。
でも、オプションとかトッピングとかいって、追加料金を取る工夫がされているらし
いのです。
それで、『男になる』つもりでヘルスに通いだして、SMプレイとか顔シャとかコスプ
レとかAFとか
あらゆるオプションを試したのに肝心のHを経験していなかったなんていう
笑えない話があるのです。なんか順番が違うような気がします。
ただでさえ、ヘルスで<シゴかれ慣れてる>お客様は、対女性との感覚に
ストレートに反応出来ない場合が多く、つまり<イケない>場合が多く、
ひとりHをしすぎて遅漏になった方よりはるかに困りものです。
私たちは、広義に置いての同業者であるヘルス業界を非難する気は無いのですが、
お客様が無垢な方の場合は、確実に男をダメにしているような気がしてなりません。
そうやって考えてみると、ソープのお遊びって、健全で基本的なHって気がします。
名前こそ特殊浴場ですが(笑)
あれ?特殊欲情だっけ・・・もっと(笑)
初めての方こそ、まずはソープで基本のHを覚えて、それから
それぞれが興味のあるプレイに移行すれば良いのでは・・・・
なーんて、オネエさんたちは、お店の控え室の座椅子に寝そべりながら、
21世紀の日本を担う若者の<男らしさ>を案じているのです(^o^)
まーとにかく、これから夏に向かってお店も忙しくなります。
ラ・ドルフィンの心地よくエアコンのきいたお部屋で、健康的なお遊びをしましょう
ね。
  第1号
5月22日
          今、なぜか「プロ」は嫌われるけど… 
私は、会社員なので、お店のお仕事はスケジュール的にはアルバイトです。でも、ほかの女の子と同じ条件で働く限り、内容的にはプロだと思っています。以前、まだ大学生の頃、交通事故が原因でまとまったお金が必要になったとき、
数ヶ月ですが、堀之内の『S』に勤めた経験があり、私はこの店で、プロ中のプロのナンバーワン女性に指導を受け、技術的にはまだまだですが、プロとしてお金を頂くことの精神論をたたき込まれました。実は、この経験がその後就職して社会に出た後、すごく役に立っているのです。上司のタバコの銘柄を記憶しておくなんてワザは新人OLにはできませんから・・・
 一昨年、会社の勤務が安定してきたこともあり、またアルバイトを始めようと思い風俗系の求人誌を見ると、<自由出勤制>とか、<0L、学生のバイト大歓迎>という文字が踊っていたので、早速問い合わせをしたり実際に面接に行きました。場所は
いずれも吉原でした。面接には3軒行きましたが、結果はすべて物別れ。一軒は、「アルバイトってのは若い素人という意味」といって、当時27歳だった私は、あっさり蹴られました。もう一軒は「素人専門店なので、堀之内の経験者はサービスをするか
ら困る」と言われ、もう一軒は「雑誌にでれる人のみ」というので断りました。広告には<当店は全員 OL、女子大生>なんて詠っているのに、雑誌に顔出しするということは、広告はインチキなんだと思いました。私の会社でも、内規ですが二重就業は禁止事項です。結局、吉原というところは、「素人」というキーワードで客寄せをして、「自由出勤」という甘い餌で、若い女性を集めているところなんだと思いました。
 それで、以前のお店で旧知だった人に相談して、ラ・ドルフィンを紹介されたのですが、ここは、私の状況も条件もすべて聞き入れてくれた唯一の店でした。面接で、店長が言ったのが、「会社中心の出勤でかまわないけど、店ではプロとしてちゃんとやってくれ」という、今思えばいかにも堀之内らしい言葉でした。
 ラ・ドルフィンでバイトをはじめて2年になりますが、ここのお客様の多くは、「若いだけの女の子よりもプロの自覚のある方がよい」と言ってくれます。
しかし、この2年の間にも、風俗に対する世の中の考えは徐々に変わりつつあると思います。手抜きサービスでも、外見さえ良ければ通用する吉原と違い、堀之内は伝統的にサービスを売りにしていたはずなのですが、最近では、吉原風の素人専門店が増えま
した。どうやら、横浜のヘルスあたりから、若い女性が流れてくるかららしいのですが、そういう店が軒並み繁盛しているのも世間のニーズなのでしょう。そう考えるとラ・ドルフィンはとても古典的な店なのかもしれません。指名上位者は、それなりの
キャリアと実績の持ち主ばかりで、「素人」はランクインしていません。だから、世間の流行に逆行するかもしれませんが、私もラ・ドルフィンの一員として堀之内の伝統を守っていきたいと思います。
 二十代ものこりわずか、私のアルバイトもそろそろ潮時かと思う今日この頃ですが、ラ・ドルフィンでの日々は、金銭以上に貴重な経験だと思っています。最後までプロの精神で働きたいと思っていますので、どうかよろしくね。      <純>